複雑な問題を複雑にしているのは自分なのかもしれません

シンプル思考の最大の敵は、「見せかけの複雑さ」です。基本的に、問題には大きな問題と小さな問題しかありません。複雑な問題はありません。大きな問題とは1人だけでは解決できないもの。小さな問題は1人だけで解決できるものと考えてみればわかりやすいでしょう。

私たちは本来、1人でも解決できるような問題でさえ、複雑に見せかけてしまうのです。そこには、いままで触れていない問題の価値観があります。「重大な問題」と「重大ではない問題」。そして「解決を急ぐ問題」と「解決を急がない問題」です。

たとえば、1人で掃除をしなければならないとします。ですが、これをいくらでも複雑にすることができます。掃除を「重大な問題」としてなおかつ「解決を急ぐ問題」としたときに、1人では解決できない「大きな問題」に見えてしまうのです。それを「複雑」と考えて、解決をいたずらに遅らせるわけです。

たかが掃除なのに、それを「重大な問題」で「急ぐ問題」にするのは、たとえば「恋人がやってくる」といったことでもいいでしょう。いつもの掃除ではないのです。恋人にいい印象を与えたい、嫌われたくない、できれば好感度を上げたい、そうだ買い物もしなくちゃいけないし、掃除以外にもすることがいっぱいある……。

複雑にしているのは自分なのです。

仕事でもこうしたことはよくあるのです。「上司に気に入られたい」「顧客の喜ぶ顔が見たい」「他部門に知られたくない」「ライバル会社の鼻を明かしたい」「利益率を高くしたい」「労力を減らしたい」「自分だけの手柄にしたい」「だけど週末はちゃんと休みたい」などなど、一つの問題に対して、わざわざ複雑にする要素がいっぱい絡み合ってしまうのです。

私たちは欲が深いのです。問題を解決できれば満足するはずなのに、「問題を解決するからにはビッグな成果が欲しい」と思ってしまいます。最小の労力で最大の効果を生み出したいとか、短時間で最高得点を出したいといった欲があります。

そうしたものが、問題をシンプルに考えることを妨げているのです。「こんな難問はない」とか「これほど複雑な問題なのだから、シンプルになんてなるわけがない、バカにするな」といったことを思ってしまう人もいるのです。

ですが、考えてみてください。解決できる問題は、どれもシンプルです。これをさらに強調して言い換えれば、「シンプルな問題しか解決できない」のです。複雑な問題を複雑なまま解決することも、複雑系の考え方としてはもちろん、あるのです。ですが、私たちの取り組むべき問題を、ことさら複雑にする必要はないのです。

あまりにもシンプルにしてしまうと「それでは問題は解決するかもしれないが、気持ちがすまない」といったことを言う人もいます。まるで、問題を解決したくないかのような言い方ですが、実際、解決したくない人もいます。解決したら困ると思っている人です。

さきほどの「恋人が来るから掃除をする」問題の、もっともシンプルな解決策は「掃除はしない」。ありのままで行く。ただし、不衛生にはしない。だからゴミは捨てて、玄関の靴は揃える。これなら数分で終わります。そしてほかのことをやって、さらに時間が余れば、片付けをしてもいいでしょう。ホコリだらけにならない程度に、ですが。

こういう解決策でもかなりの効果が見込めますが「それでは気持ちがすまない」と感じる人が多く、問題を複雑にしてしまいます。掃除する時間がないなら、掃除はしない。こういう結論を受け入れられない人もいるのです。

あなたが欲しいのは問題の解決なのでしょうか。それとも「気持ち」なのでしょうか。そこはよく考えておく必要があります。